金ピカ先生として有名だったカリスマ予備校講師の佐藤忠志さんが亡くなったことが分かりました。
予備校講師の時には、奇抜なファッションからテレビでも良く見かける有名な先生でしたが、晩年は波乱万丈だったみたい。
金ピカ先生に何があったのか?早速見てみましょう!
金ピカ先生ってどうして呼ばれてた?
金ピカ先生こと佐藤忠志先生は有名な予備校講師でしたよね。
まるでヤクザ映画に出てきそうな派手ないでたちに、金色ネックレスでなかなかの貫禄でした。
金ピカ先生、この貫禄で当時30代という事実。 pic.twitter.com/USjeoeznKb
— 栗鼠島 (@Yamataku_sensei) September 25, 2019
キャラが良かったこともあって、テレビでは大人気の予備校講師でした。
今でいうと、林修先生のような感じかな。
でも、教える技術はすごいらしく、とても分かりやすいと評判だったようですね!
最近では、まったく見かけることがなかったですが、亡くなってしまったんですね。
金ピカ先生・佐藤忠志さん死去
「金ピカ先生」死す…カリスマ予備校講師の佐藤忠志さん68歳、自宅で : スポーツ報知 https://t.co/1x9CDrlueu
— 藤原 邦充 (@hochi_fujiwara) September 25, 2019
金ピカ先生こと、佐藤忠志さんが自宅で亡くなっていたことが分かりました。
68歳というとまだまだ若いですね。
亡くなった原因は何だったんでしょうか?
金ピカ先生は孤独死だった。。。死因は何?
そんな人気者の金ピカ先生が、まさかの孤独死をしていたようです。
訃報の記事では、
デイケアセンターの職員がこの日、自宅を訪問したところ、冷たくなっている佐藤さんを発見したという。
死因は不明。司法解剖が行われる。
引用:Yahooニュース
死因はまだ分からないんですね。
でも、以前見かけた記事では、朝からお酒を飲み、自分で「生きる屍」だと言っていたそうなので、体が悪かったのかもしれないです。
晩年が波乱万丈すぎ!生活保護なのはなぜ?
人気のカリスマ塾講師で、年収2億だったとも言われる佐藤忠志さん。
晩年は生活保護を受けていたという事実に衝撃を受けました。
どうしてこんなことになってしまったんでしょうか?
2009年、それまで一度も訪問したことがなかった鹿児島・種子島の西之表市長選に出馬。本名よりも知られている「金ピカ先生」の名前で届け出たが、惨敗した。その後は2度の脳梗塞と心筋梗塞を患ったこともあり、表舞台から姿を消した。
18年のスポーツ報知のインタビューでは、日本に1台しかないというクラシックカーを購入する“車道楽”や暴力などが原因で夫人とけんかし、16年ごろから別居していることを告白。離婚調停中だった。自らの生活について「隠居。生きる屍(しかばね)ですよ」と自虐的に話し、朝から酒をあおるなど、不摂生を続けていた。
引用:スポーツ報知
タレント時代に何かを踏み外してしまったんでしょうか?
教師としての才能がものすごくあったらしい方のようで、華々しい時代もあっただけに、波乱万丈の晩年が切ないです。
みんなのコメントは?
元予備校講師の佐藤忠志さんが死去しました。68歳でした。派手なファッションで「金ピカ先生」と呼ばれ、タレントとしても活動しました。https://t.co/e2KlF7aY3i
— 産経ニュース (@Sankei_news) September 25, 2019